深夜営業のパン屋さんの思い出を求めて

「コッペパンを買いに行こうか」
10年以上前のことだけど、友人に誘われて向かったのは埼玉県川越市。
なんでも夜中だけ営業しているコッペパン屋さんがあるらしい。

「わざわざコッペパンのために川越まで?」って正直感じたけど、珍しいもの見たさでついていった。

お店に到着したのはたしか23時ごろ。
黄白色の明かりがまぶしい店前には20人ほどが列を作っていて、私たちも最後尾についた。
なんでも地元では有名なコッペパン屋さんで、営業開始がこんな時間らしい。

ただのコッペパンになんでこんなに並んでいるの?
というのが正直な感想だった。
もし一人なら並ぶのが嫌いな私はこの店を知ることはなかったと思う。

ところでパン屋の割には列がなかなか進まない。
メニューはコッペパンだけのはずなのだが。

でも他のお客さんたちはそれが当たり前だと思っているのか、不満な様子はなく淡々とした様子。
そもそもこんな夜遅くにコッペパンをわざわざ買いに来るような客なので、少々の待ち時間など気にしないのかもしれない。

自分たちの順番が近づき、店内の様子が伺えるようになって、列の進みが遅い理由が判明した。
店主と思しきおじさんは、お客の注文ごとに一つ一つパンにあんこやバターを塗って仕上げていたのだ。

(ここからは記憶に誤りがあるかもしれないので、参考程度にお読みください)

お店の様子は、一般的なパン屋さんとは趣を異にしていた。

店内には店の手前と奥を仕切る形で横長のショーケースがあるのだが、その中にコッペパンは並んでいない。
ちなみにメニューはコッペパンのみ。
そこにあんこ、バター、ジャムなどを塗ってくれるもの。

ショーケースの向こう側は、畳が敷かれた小上がり(8畳ぐらい)があり、そこにおじさんが座ってコッペパンを一つ一つ仕上げている。

お客からの注文を受けたら、おじさんはパンを手に取りパンに切れ目を入れる。
続いて刀のような(というイメージ)長いナイフで、一斗缶に入ったバターを掬ってパンの切れ目にスーッと塗る。
それからあんこやジャムを同じ要領で塗って完成。

できたコッペパンは紙にくるんで(あるいは紙袋に入れて)お客に手渡す。
値段はどの程度だったのだろうか?
たしか100円以上だった気がするけど、記憶があやふや。

お客さんのなかには10個ぐらいまとめ買いする人もいて、それが列の進みが遅い理由でもあったのだ。

おじさんの所作はけっしてのんびりしたものではなかったけれど、決してマイペースを乱さない。
一人きりで対応しているので時間がかかるのは仕方ないのかあ。

真っ暗な中、ここだけ明かりが灯り、おじさんが黙々とコッペパンを作っている光景は、ジブリアニメの異世界のような雰囲気。

じつをいうとコッペパンの味は自分にとっては普通のコッペパンだったけれど、この不思議な、でもほっとする光景に出会えたことに満足して帰途についたのであった。

(回想ここまで)

ちなみに、コッペパンは翌朝にはパサパサになっていて、たぶん添加物は無使用だったのかもしれません。
見た目は何の変哲もないコッペパンなのにこだわりがあったのかもしれないですね。

さて、先日大宮に行く用事があったので、川越にも足を延ばしてコッペパン屋さんのあった場所を訪ねてみました。

ネットに散らばる乏しい情報をもとに特定した場所は記憶していた場所と同じ。
すでに廃業しており、跡地は駐車場になっていました。

ここが伝説のコッペパン屋さんだったのですね。
夜中の行列と店から漏れる灯りの記憶が蘇ります。

今や川越は外国人観光客も街歩きを楽しむメジャーな観光地になったけれど、深夜のコッペパン屋さんがあったころのちょっとマイナーな雰囲気も良かったのですよね。

昔がすべてよかったとは言わないけれど、かつてこの場所にコッペパンの岩田屋さんがあったことは記憶にとどめたい、そんな感傷に浸った一日でした。